馬込文士村散歩 ふるさとは遠きにありて思ふもの

室生犀星といえばすぐ思い浮かぶのがこの詩。叙情的で感傷的で美しい。

こんな所にお住まいだったんだな。

小景異情
ふるさとは 遠きにありて 思ふもの そして悲しく うたふもの よしやうらぶれて 異土の乞食と なるとても 帰るところに あるまじや ひとり都の ゆふぐれに ふるさとおもひ 涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこに かへらばや遠きみやこに かへらばや   

親交が深かったのは萩原朔太郎、大親友だったようだ。しかし初対面のエピソードが面白くて、そうそうとうなずいてしまうくらい納得。室生先生見た目と作品のギャップありすぎなんだよね。

「靑き魚を釣る人」などで想像した僕のイメーヂの室生君は、非常に繊細な神經をもつた靑白い魚のやうな美少年の姿であつた。然るに現實の室生君は、ガッチリした肩を四角に怒らし、太い櫻のステッキを振り廻した頑強な小男で、非常に粗野で荒々しい感じがした。その上言葉や行爲の上にも、何か垢ぬけのしない、田舎の典型的な文學青年といふ感じがあつた。(中略)彼はその頃、一種の妙な長髪にして、女の斷髪みたいに頸で一直線に毛を切つて居た。それが四角の水平の肩と對照して、丁度古代エヂプト人のやうな姿に見えた。(萩原朔太郎「詩壇に出た頃」)
《石井千湖『文豪たちの友情』引用》

朔太郎先生、笑かしてくれるわ、美少年とか勝手な想像しちゃって、挙げ句の果てに古代エジプト人とは、人のことよく見ていて、ユニーク。朔太郎先生はまあまあイケメンかもしれないからなあ。

この日は萩原朔太郎の住居跡には行けず。次回あたりに。

近くに弁天様を見つけた。小さいけどいい公園、室生犀星も散歩したかな。

弁天池児童公園

弁天様

ここにも文士が。

室伏 高信

原稿書きはローソク灯に限る
 行きつけの銀座の酒場や文学青年たちの間では『パパ』の呼び名で通っていた人気作家の室伏高信。高信は弁天池近くの家を仕事場にしていて、徹夜で執筆ということがよくありました。
あるとき『集金人が横柄な口のききかたをした』といって電気代を支払わなかったために電気を止められてしまいましょた。
『電気よりローソクの方が自然に近い。光もやわらかで目のためにもいい。もう、電気とは一生縁切りだ』というわけで手伝いの青年はローソク厚めに奔走する羽目になりました。
-室伏家はなかなか明るくならなかった。一門の青年たちが集まって、パパの意地っぱりに声援をおくるために徹夜で飲んだという話も聞いた-と闘志はゆるがなかったようです。

参考文献 榊山潤【馬込文士村】

この先生も面白い。

Author: noriko